■9月1日「防災の日」「関東大震災の日」です。■
大正12年(1923)9月1日午前11時58分、伊豆大島付近、相模湾北西部の相模トラフ(北緯35.1度、東経139.5度)を震源とする海溝型大地震が発生しました。
推定マグニチュード7.9、震度6の大地震は関東地方を襲い、地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、東京では150ヶ所以上から火の手が上がりました。折りしも能登半島付近の台風により、関東地方全域が暴風域にあり、東京では火災旋風を引き起こしながら、なんと3日間に渡って燃え広がりました。因みに、地震以後も気象観測を続けた東京の中央気象台によれば、9月1日の21時頃から異常な高温を観測、翌2日未明には最高気温46.4度を観測しました。
地震と火災の混乱のなか、水も電気も止まって大混乱の末、死者・行方不明者は10万5000人に及びました。焼損面積は、東京ドームに換算すると約1400倍の広さになるそうです。全半壊、消失、埋没など家屋の被害は37万2000棟余、山岳部では山崩れが多数発生し、沿岸部では津波が発生しました。
地震そのものが原因と思われる死者は2000名ほどで、ほとんどは火災による死者です。津波による被害は、太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部で高さ10m以上の津波が記録されました。山崩れ、崖崩れ、それに伴なう土石流による家屋の流失、埋没の被害は、神奈川県の山間部から西部下流域にかけて発生。列車が駅舎とホームもろとも土石流により海中に転落し、100人以上の死者を出しました。
震災の被害の大きさから、一時は遷都も検討されたそうで、遷都の候補地には姫路や京城(ソウル)などが挙げられていました。
「防災の日」は、関東大震災を教訓として防災意識を高めるために、昭和35年(1960)に制定されました。この頃に台風の襲来が多いことも制定の理由のひとつです。制定の前年には、甚大な被害をもたらした伊勢湾台風が襲来しています。
この日「関東大震災の日」として、被服廠跡(現、東京都横網町公園)東京都慰霊堂では、毎年2回(春季3月10日、秋季9月1日)慰霊大法要が行われるなど、各被災地で慰霊祭が行われます。
◆消防防災博物館:https://www.bousaihaku.com
いざという時に備え、避難場所の確認や非常持ち出し袋の用意をしておきましょう。両手が使えるリュックサックなどに「飲料水・携帯ラジオ・衣類・履物・食料品・マッチやライター・貴重品・懐中電灯・ロウソク・救急セット・筆記用具・雨具(防寒)・チリ紙など」を入れて、目に付きやすい所に置いておきます。
災害直後に持ち出しが出来なくても、後々に使用できるように、簡易ガスこんろ・固形燃料・水やインスタント食品のストックがあるといいでしょう。
火災に備えては、消化器・三角消化バケツ・風呂の汲み置きなど。避難や救出に備えては、斧・ハンマー・スコップ・バール・防水シート・のこぎり等。
地震の時、家具や電化製品の転倒や落下物による被害は意外と多いもの。この機会に今一度点検してみましょう。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
私たちは、科学技術の進歩で、自然を克服したと勘違いしているかもしれません。人間は自然の中の生き物です。どれだけ科学技術が進んでも、自然との調和を忘れてはいけません。
東日本大震災の地震や津波、近年の線状降水帯によるゲリラ豪雨に落雷、竜巻は、言葉を発しない地球からの警告なのかもしれません。
夏から秋への季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白