■8月20日 鎌倉宮 例大祭 です。■
「鎌倉宮(かまくらぐう)」は、大塔宮(おうとうぐう)護良親王(もりよししんのう、もりながしんのう)を祀る神社で、建武中興十五社の一社。旧社格は官幣中社。神社本庁の包括下には入らない単立神社で、別名「大塔宮(おおとうのみや)」。
「護良親王」は、延慶元年(1308)後醍醐天皇の皇子として誕生。6歳で京都の三千院に入り、11歳で比叡山延暦寺に入室し、尊雲法親王(そんうんほっしんのう)と呼ばれました。また、大塔宮(おおとうのみや)とも。20歳にして天台座主となりました。
父帝の後醍醐天皇は国家の荒廃を憂いられ、ともに鎌倉幕府を倒し建武中興を実現しましたが、その後、足利尊氏との対立により足利方に捕えられて東光寺に幽閉されてしまいます。
建武2年(1335)中先代の乱の混乱の中、尊氏の弟・直義の命で家来である淵辺義博(ふちべのよしひろ)によって暗殺されました。御年わずか28歳。
明治2年(1869)2月、明治天皇は建武中興に尽力した親王の功を賛え、神社の造営を命じ、護良親王を祀りました。6月に「鎌倉宮」の社号が下賜され、7月に東光寺跡の現在地に社殿が造営されました。
拝殿前には、鎌倉宮の伝統とも言える獅子頭守が参拝者を迎えます。護良親王が戦の時に兜の中に獅子頭の小さなお守りを忍ばせて自らの無事を祈った事が由縁です。
鎌倉宮
◇神奈川県鎌倉市二階堂154
◇JR「鎌倉駅」から京急バス「鎌倉宮行き」終点下車
◇公式サイト:https://www.kamakuraguu.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
いつの時代も、権力欲による争いはなくならないものです。どのような状況下でも正しく判断し、信念から心願を成就する、いわゆる大願成就が苦境を超える心の支柱でしょう。
季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白