■8月6~8日「仙台七夕まつり」です。■
東北三大祭りの一つ「仙台七夕:せんだいたなばた」は、五節句の一つ「七夕・しちせき」に因んで行われる祭りで、月遅れ8月7日を中心として8月6日から8日にかけて毎年行われています。
江戸時代初期、仙台藩の祖「伊達政宗」が、婦女に対する文化向上の目的で七夕を奨励したところ、仙台で盛んな年中行事の一つになったとされています。
後に、荒廃した世俗の世直し目的に行われたり、不景気対策として商店街に七夕飾りを飾っての集客目的に行われ、七夕という風習は「七夕祭り」という昼間の商店街で行われるイベントと変化しました。
大東亜戦争中は規模の縮小があったものの、昭和21年(1946)仙台空襲で焼け野原になった街に、52本の竹飾りで復活し、翌昭和22年(1947)昭和天皇巡幸の時には、沿道に5000本の竹飾りを並べて大規模な七夕祭りが復活しました。
七夕祭りはもともと旧暦7月7日の行事で、6日の夕方から笹竹を飾り姫星と彦星を祭って、手習い事の上達を願う行事でした。笹竹飾りは8日の朝には川に流されていました。
その後、七夕祭りは商店街振興から観光イベントへと変貌していき、昭和45年(1970)から「動く七夕パレード」(星の宵まつり)が始まり、夜のイベントも加わりました。昭和58年(1983)からは、「夕涼みコンサート」も開かれるようになり、全国から訪れる昼、夜も観光客を楽しませてくれます。
七夕飾りの目玉のひとつに、大きな「くす玉」がありますが、考案者の森権五郎さん宅の庭に咲く美しい「ダリアの花」がヒントなのだそうです。吹き流しとともに飾りの主流になっています。
七夕節に飾り付ける「七夕飾り」にはそれぞれ意味があります。陰陽五行説から発する「5色の短冊」は「学問や書の上達を願う」もの。「紙衣」は「病や災いの身代わり」または「裁縫の上達祈願」。多数の折鶴は「長寿」を願い、巾着は「富貴と貯蓄、商売繁盛」を。投網は「豊漁祈願」、屑篭には飾り付けを作るとき出た裁ち屑や紙屑を入れ「清潔と倹約」を願い、吹き流しは「織姫の織り糸」を象徴しています。
◆参考ブログ「七夕(たなばた)」「織女・夏彦、七夕物語」です。:https://kisetsunootayori.com/july/20230707tanabata/
仙台市都心部の一番町、中央通りなどのアーケード街、仙台駅を中心に、市内各地で大小様々な七夕飾りが飾られ、工夫を凝らした七夕飾りはその華麗さを競います。前夜祭「七夕花火祭」から合わせて毎年2百万人の人出で賑わいます。
◇「仙台七夕まつり」公式サイト:http://www.sendaitanabata.com/
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
平成23年3月11日発生の東日本大震災発生当初は、青森ねぶた、仙台七夕など東北の夏祭りは、縮小か中止または延期するべきとの声に負けず、津波で行方不明者を含めた多数の被災者の鎮魂の意味を込めて、祭礼が開催される運びになりました。
七夕飾りの願事を書く短冊の色は、「陰陽五行説」からです。それに織姫・彦星の七夕伝説が、加わり今日の「七夕」になりました。
例年多数の観光客で賑わう仙台七夕祭りです。観光にお出かけの際には熱中症の予防をなさってください。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白