■8月4~7日 東京 住吉神社例祭「佃祭」です。■
「佃祭(つくだまつり)」は、佃島の鎮守「住吉神社」の例祭です。3年に1度の「本祭り」では、獅子頭の宮出しや八角神輿の宮出し、神輿を船に乗せて氏子地域を巡る船渡御が行なわれます。
佃島(つくだじま)は、隅田川の河口に浮かんでいた小島でしたが、徳川家康が関東に下降の際、攝津の国佃村から漁民を呼び寄せてここに住まわせてから江戸市中に海産物を供給する漁村として発展しました。漁民達はこの島を「佃島」と呼び、故郷の「住吉神社」を勧請して島内に祀り鎮守さまとしました。
家康は漁民に「漁業権」を与え、その代わりに取った魚の一部を献上させました。この佃の漁民によって、築地魚河岸に移転する前の「日本橋魚河岸」の基礎が出来ました。
佃島の祭は、徳川四代将軍家綱の誕生を祝って始められたと伝わります。明治以降、島の周囲が次々と大規模開発が進められ、近年では超高層ビル群ともなっています。
落語「佃祭」の噺は、「情けは人のためならず、めぐりめぐりて己が身のため」というような事を言いますが、なかなか人に情けをかけるのは難しいものでございます…と、始まります。
お玉ヶ池で小間物屋を営む次郎兵衛は、佃島の住吉神社の祭りを見物に出かけ、しまい船に乗りかけると、女に袖を引かれ乗らずに留められました。そして、乗ろうとしたしまい船は、なんと沈んでしまいます。
その女は「3年前に5両のお金をなくして吾妻橋から身を投げようとしていた若い娘を助け、5両のお金を恵んでくれたのをご存知でしたか?」と尋ねました。
その時、娘は助けてくれた次郎兵衛の住まいも名前も聞いていなかったので、後で礼の行きようがありません。しかし、娘はその恩を忘れてはいませんでした。次郎兵衛は思い出し、その女の家に呼ばれ、その連れ合いからもご馳走になります。
次郎兵衛の帰りを待つ家では、船が沈んで次郎兵衛が死んだというので弔いが始まってしまいます。その悔やみの口上がたまらなく面白いのですが…話が逸れました。
「住吉神社」は、正保3年(1646)住吉大社の分神霊を奉遷祭祀し建立されました。佃島は江戸湊の入口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として崇敬されました。その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てが行なわれ、地域の産土神として信仰されています。
住吉神社の例祭「佃祭」は、江戸幕府に許可された由緒ある祭りとして今日に至ります。平成17年(2005)は鎮座360年記念例大祭でした。
住吉神社
◇東京都中央区佃1-1-14
◇東京メトロ有楽町線・都営大江戸線「月島駅」6出口 徒歩5分
◇公式サイト:https://www.sumiyoshijinja.or.jp