■6月24日「東京芝、愛宕神社 千日詣り」です。■
「愛宕神社(あたごじんじゃ)」は、山手線内にある愛宕山(天然の山、標高約26m)の山頂にある神社で、京都の愛宕神社が総本社です。
主祭神は、「火産霊命(ほむすびのみこと)」。「罔象女命(みずはのめのみこと)」、「大山祇命(おおやまづみのみこと)」、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が配祀されます。慶長8年(1603)徳川家康の命により創建。また、徳川家康が信仰した勝軍地蔵菩薩も祀ります。
◇千日詣り◇
6月23、24日は「千日詣り」、この日に社殿前にしつらえた「茅の輪」をくぐり※参拝すれば、「千日分の御利益がある」とされます。無病息災と商売繁盛をお祈りする茅の輪が設けられ、ほおずき市が立ちます。
◇ほおづき市◇
愛宕の千日詣りには、ほおづき市です。浅草のほおずき市が有名ですが、愛宕神社のほおづき市は更に古く江戸時代から続いている市です。浅草の市も元々は愛宕から伝わりました。はじまりは江戸時代、神託によってほおずきが薬であると啓示受けて、家族や隣人に飲ませたところ、子どものカンの虫が治まり、夫人の癪(しゃく:胃痛)が治ったと伝わります。
◇東京23区内で最高峰の愛宕山◇
愛宕神社がある愛宕山は標高25.7m。「出世の石段」を登り切った右手には、山の証しである三角点があります。天然の山としてはこれは23区内で一番の高さです。
◇出世の階段◇
寛永11年(1634)三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(八十六段)を駆け上り、お社に国家安寧の祈願をし、その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から、日本一の馬術の名人として名を馳せ、「出世の石段」の名も全国に広まりました。
◇桜田門外の変、殉皇十二烈士女之碑◇
万延元年(1860)には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でした。
昭和20年(1945)8月15日早暁、敗戦降伏という事態に陥れた、木戸内大臣を倒そうと立ち上がった尊攘義軍十烈士は、芝・愛宕山に立て籠もったのです。志士たちは「承詔必謹」の大義に殉じ、その決意は「陛下の詔に反した罪の責任をとる」蜂起だったと記されています。
愛宕信仰(あたごしんこう)
京都市の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社が発祥。火防の神に対する神道の信仰です。
愛宕神社は、古くから修験道の道場となり、愛宕山に集まった修験者によって、江戸時代中頃から愛宕信仰が日本全国に広められました。中世後期以降、愛宕の神は「火伏せに霊験のある神」として広く信仰されるようになりました。
日本全国で「愛宕」を社名につける神社は約1000社。愛宕の縁日は、地蔵と同じ毎月24日です。
愛宕神社
◇東京都港区愛宕1-5-3
◇JR「新橋駅」、日比谷線「神谷町駅」、銀座線「虎ノ門駅」、都営三田線「御成門駅」
◇公式サイト:https://www.atago-jinja.com
茅の輪くぐりの具体的な作法
1、先ず、茅の輪の前に立って軽く礼をします。
2、左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って元の位置に戻ります。
3、茅の輪の前で軽く礼をします。右足からまたいで輪をくぐり、右回りに回って元の位置に戻ります。
4、茅の輪の前で軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って元の位置に戻ります。
5、茅の輪の前で軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐります。
6、ご神前まで進みます。二拝二拍手一拝の作法でお詣りします。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
6月末日の大祓は「夏越の祓(なごしのはらえ)」です。
寺社仏閣では円形の「茅の輪」を敷地にに設置します。くぐると心身の罪穢れを祓い清め、病魔に負けないお力を頂けるとされているところから「茅の輪」をくぐる神事が、広く行なわれるようになりました。
由来は、その昔6月には梅雨など疫病が流行りやすく、飲み水や生ものには注意をするように促したことが始まりです。
この時期、各地で食中毒のニュースが毎日のように新聞に載ります。いつの時代も疫病にはご注意の程!
筆者敬白