■11月25日「神道修成派 教霊大祭」です。■
「神道修成派:しんとうしゅうせいは」は、教派神道で、神道十三派※に代表される神道系新宗教教団の一つです。
「天之御中主神:あめのみなかぬしのかみ」、「高皇産霊神:たかみむすびのかみ」、「神皇産霊神:かみむすびのかみ」、「伊邪那岐大神:いざなぎのおおかみ」、「天照大御神:あまてらすおおみかみ」、天神地祇八百万神を総称した「修成大神:しゅうせいおおかみ」を祀ります。
教霊殿には、教祖・新田邦光、第二代管長・新田邦貞、第三代管長・新田邦達をお祀ります。教義は儒教の影響を受けており、信者数は約4万人といわれます。
教祖「新田邦光:にったくにてる」は、徳島県美馬郡脇町拝原で誕生。幼名・竹沢寛三郎。幼少より文武両道を研鑽し、脇屋義助(新田義貞の弟)の子孫であるという自覚の元、19歳頃より諸国を巡遊し、勤王の志士として粟田宮・岩倉具視・梅田雲浜・橋本左内らと交遊しました。
嘉永元年(1848)20歳の時に布教伝道の志を立て、安政年間には京都聖護院村で門人の教化を開始。明治維新に際しては濃飛鎮撫の大命を拝し、門人を率いて王政復古の主旨を説き、戦わずして鎮撫。飛州高山取締となりましたが、年貢半減問題などの政治の渦中に巻き込まれ武州忍城に幽閉されました。
その幽閉中、大病に罹るなど困難もありましたが、神の加護によって生死の境を越え、宗教的回心に達しました。赦免後、修成道の教法によって教導に専念。明治2年(1869)古事記・日本書紀の神道聖典に源由した哲理、神道神学の神髄「修理固成光華明彩(しゅうりこせいこうかめいさい)」の教法により開教。
明治6年(1873)8月「修成講社」創立が教部省より許可され、明治9年(1876)10月23日に教派神道13派の中で最初に一派特立が許可されました。昭和28年(1953)4月、本部教会「大元祠:だいげんし」を静岡県磐田郡豊岡村に遷座し、昭和51年(1976)に御神殿、開教120年にあたる平成元年(1989)大拝殿が大元祠山上祠に造営され、平成11年(1999)に開教130年を迎えました。
「教祖教霊祭」は、教祖と信者の御霊を祭るお祭りです。毎年11月24、25日に行なわれます。
◇◇神道について◇◇
「神道:しんとう」とは、今では多信教の宗教に属します。祖霊崇拝、自然現象を神として崇拝する性質が強く、古いものほど尊ばれています。鎌倉時代に伊勢神宮の神官による学問的研究が始まり、江戸時代には「お伊勢参り」が確立され、一般庶民の支持をも得ました。
明治13年(1880)東京日比谷の神道事務局神殿の祭神をめぐって神道界に激しい論争が起こりました。翌年、明治天皇の裁決により「伊勢派」が勝利し、「天照大神」が最高神格を得ました。敗北した「出雲派」の「大国主大神」は、2番手となりました。
◇◇神社本庁設立◇◇
昭和20年(1945)終戦後、国家神道・神社神道に対する政府の保証・支援・保全・監督ならびに公布の廃止という「神道指令」により、神社は国家から分離することになりました。翌年、神社本庁を設立し、宗教法人として神社神道が再出発されました。
現在の神道は、延喜式(神名帳)により統制されています。神道に属する神々を祭神とする社を「神社」と言い、全国の神社の殆どは神社本庁が統括しています。政教分離の性質上、今上天皇が神道に触れることは正式にはありません。天皇家と神道は歴史上密接な関わりを持っています。
※神道十三派※出雲大社教・御嶽教・黒住教・金光教・實行教・神習教・神道修正派・神道大教・神理教・扶桑教・契教・大成教・天理教の13派