■三種の神器解説■
◇三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのしんき(じんぎ、しんぎ))は、記紀(古事記と日本書紀に記載)神話の中で天孫降臨の時(写真右)に、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天照大神(アマテラスオオミカミ)から授けられたという鏡・玉・剣のことです。日本神話に登場した神器と同一とされている、あるいはそれになぞらえられる、歴代天皇が継承してきた三種の宝物のことです。
◇三種の宝物とは、八咫鏡 (やたのかがみ)・八尺瓊勾玉 (やさかにのまがたま、または八坂瓊曲玉)・草薙剣 (くさなぎのつるぎ) を指します。中でも八尺瓊勾玉・草薙剣は併せて剣璽(けんじ)と称されています。皇族はもとより天皇でさえも、その実物は見はなされておらず多くが謎に包まれてます。
古くから、天皇が皇位の璽 (しるし) として、代々伝えた三種の宝物,すなわち八咫鏡 (やたのかがみ)、草薙剣 (くさなぎのつるぎ)、八坂瓊曲玉 (やさかにのまがたま) 。草薙剣は天叢雲剣 (あめのむらくものつるぎ) ともいう。「記紀」の伝承によれば、天照大神(アマテラスオオミカミ)がこれら三種の神器を孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に与えた(写真左)と伝わります。鏡は垂仁天皇のときに,伊勢の五十鈴川のほとりに(伊勢神宮の起源) 、剣は日本武尊が東征の帰途尾張に祀った(熱田神宮の起源) と伝わります。代々伝えられる鏡と剣は模造品で、鏡は宮中の賢所 (かしこどころ) に安置され,剣は壇ノ浦の合戦で海に没したが,玉は当初のままであると伝わります。
南朝、北朝が並立した後、南北朝の合一したときも神器の授受を第一の条件とした経緯があります。
◆三種の神器◆
◇八咫鏡(やたのかがみ)
記紀神話で、天照大神(アマテラスオオミカミ)が天の岩戸に隠れた「岩戸隠れ」の際、石凝姥命(イシコリドメノミコト)が作ったという鏡。
天照大神が岩戸を細く開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出し、再び世は明るくなった。のちに鏡は天照大神(アマテラスオオミカミ)が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に授けたといわれる。
八咫鏡は咫(あた)は長さ(周制の八寸)の巨大な鏡の意、記紀(古事記と日本書紀に記載)神話では八咫鏡を日神の象徴としていてる。ちなみに道教では鏡が宇宙の最高神
◇八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
八坂瓊曲玉とも書きます。大きな玉で作った勾玉であり、一説に、八尺の緒に繋いだ勾玉ともされる。「岩戸隠れ」の際に玉祖命(タマノオヤノミコト)が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられた。
壇ノ浦の戦いで平時子(二位の尼)が安徳天皇を抱き入水したとき、玉・剣と共に(『平家物語』によると「神璽を脇に挟み宝剣を腰に差し」)沈んだ。
しかし玉は箱に入っていたため、箱ごと浮かび上がり、源頼朝の命を受けた漁師によって網で、鏡と玉を引き揚げ回収されたと伝わる。
◇草那芸之大刀(くさなぎのたち)
草薙剣(くさなぎのつるぎ)の旧名で、古事記では草那芸之大刀と記される。
記紀神話では須佐之男命(スサノオノミコト)が出雲・簸川上(ひのかわかみ、現島根県安来地方の中国山地側、奥出雲町)で倒した八岐大蛇(ヤマタノオロチまたは、八俣遠呂智、八俣遠呂知)の尾(写真右)から出てきた剣。
後、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が譲り受け、移動中、周りを火で囲まれたとき、姫(ヤマトヒメ)を守るため自らの周りの草を薙ぎ、火打石で草を焼いて事なきを得たときに帯刀していた。この時より天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ)は「草薙剣:くさなぎのつるぎ」と呼ばれるようになった。
日本武尊の死後、妻であった宮簀媛(ミヤズヒメ)によって熱田の地に熱田神宮が建造され、形見となった草薙剣は熱田神宮に祀られて今日に至る。