■4月20日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代※には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦(太陽暦※)普及後には民間の暦に記載されるようになりました。「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月…丑と午の日 ・2月…酉と寅の日 ・3月…子と卯の日
・4月…卯と辰の日 ・5月…巳と午の日 ・6月…酉と午の日
・7月…子と未の日 ・8月…卯と申の日 ・9月…酉と午の日
・10月…酉と戌の日 ・11月…亥と子の日 ・12月…卯と子の日
一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。
※宣明暦(せんみょうれき):中国暦の一つで、唐の長慶2年(822年)から使用された太陰太陽暦の暦法。 正式には 長慶宣明暦 (ちょうけいせんみょうれき)日本では、平安時代から823年間使用され、貞享2年(1685)に貞享暦に改暦された。
※貞享の改暦(じょうきょうのかいれき):平安時代の貞観4年(862)から中国の宣明暦(せんみょうれき)をもとに毎年の暦を作成してきましたが、800年以上もの長い間同じ暦法を使っていたので、実態と合わなくなってきていたのです。貞享2年(1685)、渋川春海(しぶかわはるみ 1639~1715)※によって初めて日本人による暦法が作られ、暦が改められました。これを「貞享の改暦」といいます。江戸時代には、そのあと「宝暦の改暦」(1755)、「寛政の改暦」(1798)そして「天保の改暦」(1844)の全部で4回の改暦が行われました。
※渋川春海(寛永16年(1639)~ 正徳5年(1715)しぶかわしゅんかい):父の死後、襲名して家職を継いで2代目算哲と称した。のちに保井、さらに渋川と姓を改める。名の方は「はるみ」または「しゅんかい」。日本では古来中国の宣明暦を採用していたが、日本人の手になる独自の暦法(貞享暦:じょうきょうれき)を作った人物として著名。その功により貞享1年(1684)初の幕府の天文方となる。天地明察(2012年、角川映画)で有名
※太陽暦(たいようれき):地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にして 1年の日数を1太陽年に近似させる暦法。 現在、世界の多くの地域で使用されているグレゴリオ暦やユリウス暦は太陽暦の1種である。日本では明治6年(1873)から導入
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。
季節は二十四節気「穀雨」で春から夏への変わり目です。
体調を崩しやすい時期です。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白