■2月19日「岡山、西大寺 会陽裸祭」です。■
高野山真言宗別格本山「西大寺:さいだいじ」は通称、観音院で本尊は「千手観世音菩薩」。山号は金陵山、観音院と普門坊円満院が現存します。普門坊円満院は真言律宗の寺院で、本尊は「虚空蔵菩薩」。通称は普門院。
中国観音霊場第1番札所として知られます。
今から約千二百年昔、天平勝宝3年(
751)周防の国(山口県)玖珂庄に住む藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫が、観音菩薩の妙縁を感じて金岡の郷に「千手観音」を安置したのが始まりです。
その後、宝亀8年(777)「安隆上人:あんりゅうしょうにん」が、大和の長谷寺で修行三昧の時「備前金岡庄の観音堂を修築せよ」との夢告から西国に下向し、海路を金岡の庄に向かう途中、児島の槌戸ノ浦に差し掛かったとき、犀角(さいかく=サイの角)を持った「仙人」(龍神)が現れ「この角を持って観音大師影向の聖地に御堂を移し給え」と霊告されました。
多々の奇縁に上人は「犀角を鎮めた聖地」に堂宇を建立、法地開山されたのが起源。このとき、寺号を「犀戴寺:さいだいじ」と称しましたが、後年、後鳥羽上皇の祈願文から「西大寺」と改称しました。
「西大寺会陽裸祭り」は、毎年2月第3土曜日の夜、西大寺観音院の境内で行われます。真夜中に御福窓から住職によって投下される2本の「宝木:しんぎ」をめぐり、数千の裸の群れが争奪戦を繰り広げます。
※西大寺会陽(さいだいじえよう):「裸祭り」のことです。岩手県黒石寺の「黒石裸祭」(蘇民祭)、大阪市四天王寺「どやどや」と並び日本三大奇祭の一つです。
西大寺創設の時に、奈良東大寺の良弁僧正の弟子実忠上人が「修正会:しゅしょうえ」を伝えました。正月に修する法会(新年の大祈祷)は、14日の間、10数人の僧侶が斉戒沐浴して、祭壇に「牛玉:ごおう」を供え、観世音菩薩の秘法を修し、国家安穏、五穀豊穣、萬民繁栄の祈祷を行います。
「牛玉:ごおう」は、杉原や日笠という「丈夫な紙」に、右から左へ「牛玉・西大寺・宝印」と順に並べて刷ったもの。14日間の祈祷を経て満願になると、今年一年の五福「寿・富・康寧・好徳・終年」を授ける意味で、牛玉を信徒の年長者や講頭に授けました。
牛玉とは、仏教世界の「宝珠:ほうじゅ」を意味し、世の中の万物を生みだす物とされます。牛玉の語源や字体には諸説あるものの、一般には牛の胆のう中に生じた結石を牛黄(ごおう)と呼び、これを溶いて墨書するところから牛王(ごおう)といいいます。
「牛玉西大寺寶印」と書かれたお札を授かった人は、農家は豊作となり、厄年の人は厄を免れることが出来たというので、年々希望者が増え、やむなく参詣者の頭上に投与したので奪い合いになったのだとか。奪い合ってちぎれてしまう為、室町時代の永正7年、時の住職・忠阿上人が牛玉の紙を「宝木:しんぎ」に替えました。
境内に集った裸群は、宝木の争奪戦前に必ず冷水に入り身体を清め、斉戒沐浴して福が授かるように祈願します。激しい争奪戦は「渦」と言われ、本堂から境内へ数組に分かれて揉み合います。
宝木は取主により会陽奉賛会へ仮納めの後、寺より検分に行きあらためられ、祝主へ納められます。宝木の取主は「福男」と呼ばれます。
金陵山西大寺(観音院)
◇JR赤穂線「西大寺駅」徒歩10分
◇両備バス「西大寺バスセンター」徒歩10分
◇岡山ブルーライン「西大寺IC」より
◇西大寺公式HP:http://www.saidaiji.jp/
◇会陽裸祭奉賛会:http://www.optic.or.jp/saidaijicci/eyo.htm
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
競い争って宝木を確保する神事は迫力があり、見物している観客も争奪戦に参加しているような感覚になります。競っていても最後には福で終わる神事で、豊作・厄落し・招福を祈念して終わります。
岡山の会陽裸祭りが斎行されるとはいても、まだまだ寒い日が続きます。
春への季節の変わり目です。読者の皆様、体調を崩さないようご注意下さい。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白