■1月25日「法然上人忌:大遠忌」です。■
「法然上人:ほうねんしょうにん」は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で、浄土宗の開祖。円光大師ともいいます。
長承2年(1133)美作の国(岡山県)で誕生、叔父の観覚のもとへ身を寄せ、比叡山へ昇ることになります。比叡山でも奥深い黒谷青竜寺に住する叡空の門をたたいて「一切経」を学びました。叡空から18歳にして法然房という房号をもらいます。(正式名称は法然房源空)
承安5年(1175)43歳の法然上人は浄土宗を開き上人の禅房には、民衆が連日群れをなしました。そのため比叡山、京都、奈良の各宗派から、法然上人を問いただそうと「大原問答」が行われました。一昼夜に及ぶ論戦は、54歳の法然上人に軍配が上がり「智慧第一」「本願念仏の教え」は、より広がっていくことになります。
宮中では関白九条兼実、貴族関係者。源氏・平氏を問わず武士達。諸宗のお坊さんや、弟子達はいうに及ばず、下は盗賊や遊女にいたるまで、身分の上下を越えて平等に教えを説くお坊さんは歴史上でも珍しいとされています。
九条兼実は、「心得ないこともあるので、なにとぞ書物にして欲しい」との懇願にこたえて、65歳とき『選択本願念仏集』(略して選択集:せんちゃくしゅう)著しました。現在800年を経た今日にいたるまで伝えられ、浄土宗において聖典として経典同様に読まれています。
75歳で無実の罪で四国へ流され、約5年ぶりに京都に戻り大谷の禅房(現在の総本山知恩院)で高齢と疲労が重なり病床につくようになりました。亡くなる2日前、弟子の一人が形見に一筆下さいと懇願をしたところ『一枚起請文』を書き残しました。
建暦2年(1212)1月25日没(御歳80)。浄土宗では、その恩恵を偲んで法会(大遠忌)が営まれます。法然上人の法要を「御忌(ぎょき)」と呼び、報恩感謝の「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えます。
◇知恩院、1月25日、御祥当忌月(ごしょうとうきげつ)法要◇
6:50 晨朝法要(法然上人御堂)
7:40頃 晨朝法話( 〃 )
8:30 諸堂参拝(御廟周辺)
10:20 日中法話(法然上人御堂)
10:30 御祥当忌月法要(勢至堂)
10:50 日中法要(法然上人御堂)
11:30 別時念仏会(御廟 拝殿)
14:00 念仏行脚 (京都市内)
◇知恩院
京都市東山区林下町400
京都駅から市バスで「知恩院前」5分
阪急電鉄河原町駅徒歩15分
京阪電鉄祇園四条駅から徒歩10分