■12月17日「東京、浅草観音 歳の市」です。■
「浅草観音:あさくさかんのん」の正式名称は「浅草寺:せんそうじ」です。本尊は聖観音(しょうかんのん)。坂東三十三箇所観音霊場※の札所13番。江戸三十三箇所観音霊場※の札所1番。
もともと天台宗に属していましたが、大東亜戦争後に独立し、聖観音宗の総本山となりました。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」「浅草の観音様」と呼ばれ、広く親しまれています。
東京都内最古の寺院「浅草寺:せんそうじ」の歴史は古く、明暦3年(1657)に観音堂の北に、新吉原遊郭※が出来たことで人々が集まるようになりました。浅草寺の催事には大勢の人達が押し寄ましたが、中でも「年の市」賑やかな行事の一つでした。
「年の市:としのいち」とは、12月中頃から年末にかけて、正月の贈り物や縁起物、正月飾りや正月用品、日用品などを売る市のことです。
古く、人々がお正月を迎えるために、それぞれ余った作物や不要なった物を、物々交換していたのが始まりです。「歳末大売出し」などのセールや、植木市、ぼろ市、つめ市というのもこの名残。
東京では、浅草観音で行われる市がもっとも古い年の市です。年の市で売られるものは、しめ飾り・神棚・桶・餅・鯛・海老・昆布、羽子板・凧など正月飾り。まな板や柄杓などの台所用品も並びます。新年を迎えるにあたり、新しいものを使い始めようという、日本の暦によって区切りをつける庶民文化を形作ります。
浅草寺
◇東京都台東区浅草2-3-1
◇営団地下鉄銀座線・都営地下鉄浅草線・東武伊勢崎線「浅草駅」徒歩5分
公式HP:http://www.senso-ji.jp/
※坂東三十三箇所観音霊場(ばんどうさんじゅさんかしょかんのんれいじょう):足柄山や箱根の坂の東一帯は坂東と呼ばれていて、その地域の侍を坂東武者と呼んだ。坂東武者は源平の合戦に九州まで歩みを進めていた。敵味方を問わない戦死者の供養や永い平和祈願が盛んになり、源頼朝の篤い観音信仰と、多くの坂東武者が西国で見聞した西国三十三観音霊場への想いなどが結びつき、鎌倉時代に坂東三十三観音霊場が開設された。坂東札所のうち約十カ所に及ぶ霊場の『縁起』には花山法皇が巡って来られ、札所に指定されたと記されている。
※江戸三十三箇所観音霊場(えどさんじゅうさんかしょかんのんれいじょう):東京都内にある33箇所の観音札所のことである。現在ではもっぱら昭和51年(1976)に改訂された「昭和新撰江戸三十三観音札所」のことを指す。
※新吉原遊郭(しんよしわらゆうかく):江戸幕府開設間もない元和3年(1617)日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)に幕府公認の吉原遊廓が誕生しました。「吉原」の語源は遊廓の開拓者が東海道の宿場・吉原宿出身であったためという説と、葦の生い茂る低湿地を開拓して築かれたためという説があります。葦(あし)は悪しに通じるのを忌んで、吉と変えられたと伝わります。その後、明暦の大火(1657年)で日本橋の吉原遊廓も焼失。移転候補地は複数あったが、浅草寺裏の日本堤に決定した。この際に吉原の営業できる土地は5割り増しにされ、夜間の営業を許可した。以後、日本橋の方を元吉原、浅草の方は正式には新吉原(略して吉原)と呼ぶようなった。
◇ ◇ 編集後記 ◇ ◇
この時期、すっかり押し迫った師走の雰囲気で、街ではクリスマス商戦の準備です。歳の市から、正月準備と慌ただしい日々です。相変わらずのコロナ騒ぎですが、今年はイルミネーションが燈り、昨年のような暗さがありません。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白