■5月5日「神奈川、国府祭」です。■
「国府祭:こうのまち」は、相模の六社が集う祭りで、国家安泰・五穀豊穣・諸産業の繁栄を祈念する相模国最大の祭典国府祭です。別名、天下祭とも。1千年以上の歴史を有し、県の無形民俗文化財に指定されています。毎年5月5日に開催されます。
大化の改新以前、今の大磯町より東に「相武」(さがむ)、西に「磯長」(しなが)という国がありました。その二つの国を合併して「相模国」が成立したと伝わります。
大化改新以後、地方には国々が再編成され、新たに赴任した国司は、その国の有力大社を参拝して回る制度がありました。しかし、国司の巡拝は大変な日数と費用、人員を要するため、時代が経つにつれ巡拝する神社の御分霊を国府近くの神社に祀るならわしが起こりました。これが「総社」の起源です。そして、国司は総社に神拝し、国内安泰の祈願所としました。
国司は総社に御分霊を納めてもらうために、各神社に神輿を以て国府に集まるようお願いしました。これが「国府祭」の始まりとされています。
「相模国六社」は、①一之宮「寒川神社」、②二之宮「川勾神社」、③三之宮「比々多神社」、④四之宮「前鳥神社」、⑤「平塚八幡宮」、⑥「総社六所神社」
この六大社から神輿が出て「神揃山」に集まります。神輿が鎮まると祝詞が奏上されます。有力神社はそれぞれの地域の有力豪族の氏神でもあります。この祭りは、中央から派遣された国司が、地方豪族との交流を図る政治的色彩があったと思われます。祭りの後は盛大な宴会が催されたそう。
相模だけに残るこの神事は、鎌倉幕府の所在国として特別の保護が与えられ、弘安5年(1282)には、将軍の命により祭りが行われるようになっていました。以後、小田原北条氏、江戸徳川氏も先例に倣い、篤くこの祭りを保護しました。
国府祭の圧巻は「座問答」という神事。相武最大の神社が寒川神社、磯長最大の神社が川匂(かわわ)神社で、合体後の相模の一之宮をどちらにするかで論争が起こりました。
三之宮の比々多神社の宮司が前鳥神社と平塚八幡宮と相談し、「いづれ明年まで」という言葉で仲裁し、なんとか収まりましたが、このいきさつが「座問答」として後世に伝えられました。律令制が成立する前後の状況を今に伝える貴重なものとして、重要無形民俗文化財に指定されています。
◇国府祭Web:http://www.net-plaza.org/ko-matsuri/index.html
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
律令制度以前からの歴史のある祭礼です。圧巻の座問答はTV中継されるなど珍しい神事です。
お出掛けなさる皆様、季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白