■4月25日「奈良、興福寺 文殊会」です。■
法相宗大本山「興福寺:こうふくじ」は、南都六宗の一つに数えられる寺院で、本尊は釈迦如来。南都七大寺2番。南円堂は西国三十三箇所第9番札所。東金堂は西国薬師四十九霊場4番。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。
天智8年(669)藤原鎌足夫人「鏡女王:かがみのおおきみ」が、夫の病気平癒を願って「釈迦三尊像」を本尊として建立した「山階寺」が起源と伝わります。後に、その子息の「藤原不比等」が、平城京左京の現在の地に移建し「興福寺」と名付けました。
東金堂は神亀3年(726)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気平癒を願って造営されました。薬師如来坐像を本尊に、維摩居子坐像、文殊菩薩坐像、日光・月光菩薩立像、四天王立像、十二神将立像が安置されます。「文殊菩薩坐像」は、古くから学問僧の祈願仏として信仰されました。
「文殊会」は仏説文殊師利般涅槃経(もんじゅしりはつねはんきょう)…文殊菩薩を供養したいと思はば、文殊菩薩は貧窮孤独苦悩の衆生となって現れよう。貧者に施給するは、文殊菩薩を供養することになる。と、文殊菩薩をお祀りして、人々を救い教化し、孤児を養い育てることを祈願する法会でした。
法会の起源は「淳和天皇:じゅんなてんのう」(786~840)のとき、勤操、泰善等が畿内、飯をつつみ、菜を加えて、諸々の貧者に施す社会福祉的な善業を、公家と協力して行なったのに始まります。文殊会のほとんどは平安朝の末期に衰退してしまいましたが、興福寺では、江戸時代も後半享保年間にも文殊会が続いていました。
知恵、福徳、富貴の「菩薩の知恵」にあずかろうとする稚児の行列が、浄教寺から奉納された一字書の奉額車を引いて三条通りの坂道を東金堂に向けて練行します。 他に、書道展や茶会が催されます。
「文殊菩薩」正式には「文殊師利法王子菩薩摩訶薩」。サンスクリット語のManjusriの音写で、Manjuは美しい、魅力ある。Sriは繁栄、栄光王者の意で、妙吉祥尊、妙徳と訳されます。その絶大な「智慧」を象微して、獅子に乗る姿で表されます。
平成21年、東京国立博物館等で開催された「国宝阿修羅展」の入場者数は世界一なのだそうです。平成22年4月から「阿修羅ファンクラブ」の会員を募集して、平成27年には会員数が2500人を超えたそうです。
平成22年から中金堂の再建中で、平成30年10月落慶します。天平の薫りがする寄棟造り、二重屋根、裳階(もこし)屋根、桁間9件、梁間6間も建物だそうです。
興福寺
◇奈良市登大路町48
◇JR「奈良駅」徒歩15分
◇近鉄「奈良駅」5分
興福寺Web:http://www.kohfukuji.com/
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
2009年の東京国立博物館で展示された「阿修羅像」は、新しい仏像ファンを増やしました。阿修羅像には文字や写真では表現できない美しさがあるのでしょう。
筆者も東京での阿修羅像展示の際、国立博物館に出向いて拝観しましたが、あまりの人の多さで、ほんの数秒しか拝観できませんでした。
東京国立博物館では「阿修羅像」も客寄せパンダ状態だったといえます。
4月下旬です。暖かい日が続いていますが、この頃、寒の戻りがあります。
読者のみなさまお体ご自愛専一の程
筆者敬白