◆初卯
※初卯(はつう):十二支(じゅうにし)※新年になって初めての卯の日のこと、稲荷社によっては二の卯、三の卯を祭事と司る神社もある。
※十二支(じゅうにし):十二支(じゅうにし)とは、子(ネズミ)・丑(牛)・寅(トラ)・卯(うさぎ)・竜(龍)・未(蛇)・午(馬)・羊(ヒツジ)・申(サル)・酉(にわとり)・戌(犬)・猪(いのしし)の12種の動物を現す漢字のこと。同様に「十干:じっかん」※と組み合わせることで、60を1周期とする「干支:えと」を形成し、方角や時間、暦に用いられる。また、陰陽五行説と組み合わせることで卦(け)にも応用されるようになった。
※十干(じっかん):木・火・土・金(ごん)・水の五行(五行)を兄(え)・弟(と)に分けたもの。年・日を現す。甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)十二支と組み合わせて使う。
※十二支エピソード:順番を決めるため神様が動物たちを召集し先着順であると伝えられ、ネズミは牛の背にしがみついて移動の労力を減らすなどの策略により、見事1番手となる。一方ネズミの策略に利用された牛は、足が遅いことを自覚しており、早起きして召集に応じた結果2番手となる。こうして他の動物も順次到着し十二支の動物が決まるが、ネズミのうその伝言によって猫は一日遅れてしまい猫は十二支から外れた。それ以来猫はネズミを恨み追い回すようになったとか。イノシシと犬は脚力を過信し、寝過ごしてしまい11番手と12番手になってしまった「早起きは三文の徳」という教訓話になっている。猿と犬の仲が悪く、いがみ合っていたところをニワトリが仲裁しながら到着したため、猿と犬の間にニワトリが入ることになった、神様が「十支」で締め切ろうとしたところ、イノシシが体当たりによって神の門を破壊し押し通ったが、イノシシが突進したショックで失神した隙を突いて犬も飛び込んだとされてる。
※藪柑子(やぶこうじ):日本の北海道南部(奥尻島)、本州、四国、九州に分布し、丘陵地林内の木陰にふつうに自生する植物
※石菖蒲(せきしょうぶ):漢方薬の原料にもなる植物、頭をよくする薬草として知られていて、健忘症などによく効くとして用いられている
※紙垂(しで):紙垂は榊の枝や串(五平串)などに垂らす紙片(上方)や布(木綿:ゆう)を言います。 また注連縄(しめなわ)に垂らし神域(しんいき)や祭場を示し清浄するものです。
※日蔭蔓(ひかげのかずら):山野に自生する多年草で、つる状ながらも他の植物の上に這い上ることはなく、地表をはい回っている植物
◆岡山、最上稲荷火焚祭
※報恩大師(ほうおんだいし ? – 795):備前国津富郡波河(岡山市芳賀)の出身という半ば伝説的な僧
※孝謙天皇(こうけんてんのう 養老2年(718)‐ 神護景雲4年(770))第46代天皇、第48代天皇 重祚して称徳天皇(しょうとくてんのう)父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初の人臣から皇后となった光明皇后(光明子)。生前に「宝字称徳孝謙皇帝」の尊号が贈られている。続日本紀では終始「高野天皇」と呼ばれており、「高野姫天皇」「倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)」とも称された。史上6人目の女性天皇で、天武系からの最後の天皇である。
※桓武天皇(かんむてんのう、天平9年〈737〉- 延暦25年〈806〉):第50代天皇(在位:天応元年(781)ー 延暦25年〈806〉)。諱は山部(やまのべ / やまべ)。平城京から長岡京および平安京への遷都を行った。践祚(えんそ)から日を隔てて即位した初めての天皇、桓武平氏の始祖となる。
◆大宮、氷川神社大湯祭
※四方拝(しほうはい):◆宮中で行われる一年最初の儀式。天地四方を拝して年災をはらい豊作を祈る儀式。戦前は「四方節」※◆拝する山陵:伊勢神宮、天神地祇、神武天皇陵・先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)の各山陵、武蔵国一宮(氷川神社)・山城国一宮(賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)・石清水八幡宮・熱田神宮・鹿島神宮・香取神宮
※四方節(しほうせつ):元日(がんじつ)のことで年の最初の日で、1月1日のこと。年のはじめを祝う日として国民の祝日とされていた大東亜戦争以前の呼び方。もと祝日とされた四つの大きな節会の日。四方拝(1月1日)・紀元節(2月11日)・天長節(4月29日)・明治節(11月3日)の総称。四大節とも
※政務天皇(せいむてんのう 垂仁32年(84)ー成務60年(190)在位:成務天皇元年1月5日 - 同60年6月11日):日本書紀での名は稚足彦天皇(わかたらしひこてんのう)。日本で初めて行政区画を定めたとされている。実在説もあるが、通説では神話時代での天皇の一人に挙げられる
◆納めの金毘羅
※大物主神(おおものぬしのかみ):大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名で和魂(にぎみたま)の中の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)と日本書紀に記されている
※本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ):仏・菩薩(ぼさつ)を本地とし、神を衆生救済のための垂迹(仮の姿で現れること)とする説。法華経・大日経に基づいて説かれたもの。日本では、平安時代から各地の神社の本地仏が確定し、神仏習合が進められたが、明治の神仏分離により衰退。
※神仏混淆(しんぶつこんこう):神道と仏教が融合し混淆(異種のものが入り混じること)されたこと。神仏習合(しんぶつしゅうごう)とも
※崇徳天皇(すとくてんのう元永2年(1119)- 長寛2年(1164)):第75代天皇(在位: 1123年2月25日〈保安4年1月28日〉ー 1142年1月5日〈永治元年12月7日〉)。諱(あざな)は顕仁(あきひと)。鳥羽天皇の第一皇子。母は中宮・藤原璋子(待賢門院)。譲位後平安時代末期の1156年(保元元年)に貴族の内部抗争である保元の乱で後白河天皇に敗れ、讃岐(香川県の旧国名)に配流後は讃岐院と称した。
※和魂神(にぎみたまのかみ):御魂(みたま)には「荒魂:あらみたま」と「和魂:にぎみたま」があります。荒魂とは神の荒ぶる魂で、天変地異を引き起こし、人心を荒廃させて戦争へと駆り立てるのです。和魂とは優美で穏やかな魂で、自然の恵みをふんだんに与え、人類社会を平和に導く魂のことです。
◆納めの薬師
※東方浄瑠璃世界(とうほうじょうるりせかい):東方にあるという薬師如来の※浄土。瑠璃を大地として、建物・用具はすべて七宝造りで、多くの菩薩(ぼさつ)が住むとされる。瑠璃の浄土。
※浄土(じょうど):仏教で、一切の煩悩やけがれを離れ、※五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な国土のこと。瑠璃世界(るりせかい)
※五濁(ごだく):仏教用語。濁とは濁(にご)り、穢(けが)れのこと。五つの穢れとは、劫濁(こうじょく)、見濁(けんじょく)、煩悩濁(ぼんのうじょく)、衆生濁(しゅじょうじょく)、命濁(みょうじょく)をいう。①劫濁は時代の濁りで、戦争、疫病、飢饉(ききん)などの時代的な環境社会の穢れをいう。②見濁は思想の乱れで、種々の邪悪な思想が流行することをいう。③煩悩濁は煩悩の流行をいう。貪(むさぼ)りや怒りや世間知らずな迷いなどがはびこり、人心は乱れ、悪徳の横行する世相をいう。④衆生濁は人間の善行意欲が低下し、心に活気がなく、不健康で、苦労の多い世間となり、同時に人間の質の低下をみる状態をいう。⑤命濁は人間の寿命が短くなることをいい、最後には寿命は10歳まで縮まるとされる。総じて五濁は、末世にになると発生する避けがたい社会的、精神的、生理的な5種の穢れで、五滓(ごし)ともいう。
◆小田原、秋葉権現火防祭
※神仏習合(しんぶつしゅうごう):神道と仏教が融合し習合されたこと。神仏混淆(しんぶつこんこう)とも
※眷属(けんぞく):神の使者をいう。その神と関連する想像上の動物または姿を持ったり動物にみえることがある。神道においては、蛇や狐、龍など。神に代わって神の意志を伝える神使の役割があるとされる。
※七十五膳神饌(しちじゅうごぜんしんせん):「七五三」に陽数五を掛けて算出する。数式では5(7+5+3)=75となる。すなわち善神が七十五神で眷属となる。
※行基(ぎょうき):飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した日本の仏教僧。天智天皇7年(668)- 天平21年(749)
※廃仏毀釈(はいぶつききゃく):仏教寺院・仏像・経巻を破毀(破棄)し、仏教を廃する
※神仏分離(しんぶつぶんり):神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること
※熾火(おきび):火勢が盛んで赤く熱した炭火(オキ)ともいう
◆納めの水天宮
※御降誕の砌(ごこうたんのみぎり):この世に生まれた場所のこと。「砌:みぎり」時節。おり。ころ。執り行われるところ。
※御祈誓(ごきせい):神仏に祈って誓いを立てること。
※須弥山(しゅみせん):須弥山とは、仏教世界の中心にあると想像上の山、山頂は神々の世界で、サンスクリット語でスメールといい、音訳して須弥山、西遊記で有名な玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)※は妙高山と意訳した。須弥山を中心に太陽、月、星が水平に回っているとされる。山の南面は瑠璃(るり)※で出来ていて、南の空を青く映えさせている。中腹に四天王※がおり四方を守ります。さらにその上の山頂の忉利天(とうりてん)には善見城があり、帝釈天が住んでいます。須弥山には甘露(かんろ)の雨※が降っており、それによって須弥山に住む天たちは空腹を免れる
※玄奘三蔵(600~664/げんじょうさんぞう):現存した中国・隋の時代に生まれ、唐の時代に盛名を馳せた仏法僧。西遊記に登場する三蔵法師
※瑠璃(るり):青色の宝石で四宝(金、銀、瑠璃、玻璃:はり)または七宝の一つ、第三位に位置する。現在ではラピスラズリ(青金石)とされる。
※甘露の雨(かんろのあめ):仏教でいう須弥山に降り注ぐ神の飲料水。蜜のように甘く、これを飲めば不老不死になるとされている。
※四天王(してんのう):須弥山にて仏法僧を守護している四神(東方の持国天:じこくてん、南方の増長天:ぞうちょうてん、西方の広目天:こうもくてん、北方の多聞天:たもんてん)
※天部(てんぶ):別称を、「天」または「諸天部」仏教以外の神が仏教にとり入れられて守護神(しゅごしん)となったもの。天に住むという信仰がある。帝釈(たいしゃく)天・毘沙門(びしゃもん)天など四天王、十二神将、金剛力士などや、吉祥天・弁財天・伎芸天など女形の天部もある。
※十二天(じゅうにてん):仏教を守護する12の天尊(てんそん)のこと。四方・四維の八天、上・下の二天、日・月の二天のこと。帝釈天(たいしゃくてん)(東)/火天(南東)/焔摩天(えんまてん)(南)/羅刹天(らせつてん)(南西)/水天(西)/風天(北西)/毘沙門天(びしゃもんてん)(北)/伊舎那天(いしゃなてん)(北東)に、梵天(ぼんてん)(上)/地天(下)と、日天(日)/月天(月)の十二天。
※安徳天皇(1178-1185:あんとくてんのう):第81代天皇、歴代の天皇の中で最も短命だった天皇。戦乱で落命したことが記録されている唯一の天皇
◆東京高輪、泉岳寺義士祭
※門庵宗関和尚(1546~1621 もんなんそうかんおしょう):門庵宗関和尚を迎えて開山、永平寺の道元禅師によって開かれた曹洞宗の第4代瑩山禅師開創の総持寺の門派である太平山大中寺(栃木県)の11世建室宗寅和尚(義元の実弟)の高弟で今川義元の孫。ときの将軍が度々江戸城に登城を請われ法問を聴取されたと伝わる。
※江戸三箇時(えどさんかじ):總泉寺(東京都台東区橋場:現在地は板橋区小豆沢)青松寺(港区愛宕)泉岳寺(港区高輪)江戸時代に関三刹※の配下として江戸府内の曹洞宗の寺院を司った3箇所の寺院。江戸僧録、江戸触頭(ふれがしら)とも
※関三刹(かんさんさつ):江戸時代に関東における曹洞宗の宗政を司った3箇所の寺院のこと
◆福岡玉崎宮玉せせり
※応神天皇(おうじんてんのう/仲哀天皇9年-応神天皇41年):第15代天皇(在位:応神天皇元年- 同41年)日本書紀での名は譽田天皇(ほむたのすめらみこと)または誉田別命(ほんだわけのみこと)実在説と非実在説がある。
※神功皇后(しんこうこうごう/成務天皇40年ー神功皇后69年):第14代天皇・仲哀天皇の皇后。日本書紀での名は気長足姫尊(おきながたらしひめ)で仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)崩御(ほうぎょ)から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされる(在位:神功皇后元年ー神功皇后69年 )
※玉依姫命(たまよりひめのみこと):古事記では玉依毘売、玉依毘売命、日本書紀では玉依姫と表記される。神武天皇(初代天皇)の母であり、天皇の祖母である豊玉毘売(とよたまひめ)の妹。名前の意味は「神霊が依り憑く巫女」とされている。
※筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう):福岡県福岡市東区箱崎に鎮座する神社。式内社(名神大社)※、筑前国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。筥崎宮(箱崎宮)の別称。
※日本三大八幡宮:欽明天皇32年(571)に宇佐の地に示顕(あらわれた)した八幡神は、応神天皇(誉田別命/ほんだわけのみこと)の神霊とされる。このような経緯から八幡宮の総本社は宇佐神宮(大分県宇佐市)。
※式内社(しきないしゃ):延喜式(えんぎしき)※の巻9・10の延喜式神名帳(じんみょうちょう)に記載された神社。延喜式内社(えんぎしきないしゃ)とも,式社(しきしゃ)ともいう。
※延喜式(えんきしき):格式(律令の施行細則)の一つで、三代格式の一つである。平安時代905年(延喜5年)醍醐天皇の命で藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は藤原忠平が編纂に当たった。弘仁式、貞観式とその後の式を取捨編集し、延長5年(927)に完成。その後改訂を重ね、康保4年(967)より施行
※名神大社(みょうじんたいしゃ):律令制下で名神祭の対象となる神々(名神)を祀る神社。古代の社格の1つとされ、全てが大社(官幣大社・国幣大社)に列していることから「名神大社」と呼ばれる。
※名神祭(みょうじんさい):神社のなかでも、年代も古く由緒も正しく、全国的にも霊験(れいげん)・崇敬が顕著で国家から特別の待遇を受けた神社。10世紀初めにまとめられた延喜式(えんぎしき)の制では、名神祭にあずかる神社として224社があげられている。国家の大事に際して奉幣(ほうべい/お供え物)・祈請(きしょう、うけい/加護を願うこと)などが行われた。
◆東京 世田谷ぼろ市
※楽市・楽座(らくいち・らくざ):戦国時代から近世初期において、織田信長、豊臣秀吉の織豊政権や各地の戦国大名が城下町などの支配地の市場で、城下町を繁栄させる為にとった商業政策のこと。それまでの座商人の特権廃止や市場税の廃止、また、座そのものの廃止によって新興商人の自由営業を許したもので、「楽」とは規制が緩和されて自由な状態となったの意。
◆東京、浅草観音 歳の市
※坂東三十三箇所観音霊場(ばんどうさんじゅさんかしょかんのんれいじょう):足柄山や箱根の坂の東一帯は坂東と呼ばれていて、その地域の侍を坂東武者と呼んだ。坂東武者は源平の合戦に九州まで歩みを進めていた。敵味方を問わない戦死者の供養や永い平和祈願が盛んになり、源頼朝の篤い観音信仰と、多くの坂東武者が西国で見聞した西国三十三観音霊場への想いなどが結びつき、鎌倉時代に坂東三十三観音霊場が開設された。坂東札所のうち約十カ所に及ぶ霊場の『縁起』には花山法皇が巡って来られ、札所に指定されたと記されている。
※江戸三十三箇所観音霊場(えどさんじゅうさんかしょかんのんれいじょう):東京都内にある33箇所の観音札所のことである。現在ではもっぱら昭和51年(1976)に改訂された「昭和新撰江戸三十三観音札所」のことを指す。
※新吉原遊郭(しんよしわらゆうかく):江戸幕府開設間もない1617年、日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)に幕府公認の吉原遊廓が誕生しました。「吉原」の語源は遊廓の開拓者が東海道の宿場・吉原宿出身であったためという説と、葦の生い茂る低湿地を開拓して築かれたためという説があります。葦(あし)は悪しに通じるのを忌んで、吉と変えられたと伝わります。その後、明暦の大火(1657年)で日本橋の吉原遊廓も焼失。移転候補地は複数あったが、浅草寺裏の日本堤に決定した。この際に吉原の営業できる土地は5割り増しにされ、夜間の営業を許可した。以後、日本橋の方を元吉原、浅草の方は正式には新吉原(略して吉原)と呼ぶようなった。
◆奈良、春日大社 若宮おん祭
※天児屋根命(あめのこやねのみこと):天岩戸神話※で活躍し、天孫降臨※にて瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に随伴した、祭祀をつかさどった中臣氏の祖神。 天岩戸神話では祝詞をあげ天照大御神がお出ましになられたと伝わる。
※天岩戸神話(あまのいわとしんわ):天照大神が神聖な衣を織るために清浄な機屋(はたや)にいるのを見て、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が皮を剥いだ天斑駒(あまのふちごま:高天原にいたという、まだら毛の馬)を投げ込んだ。すると、天照大神は驚いて梭(かひ・ひ:機(はた)の道具。木または金属で舟形につくったもので、よこいと(緯)を、たていと(経)の中にくぐらせる道具)で自分の体にを傷つけてしまった。天照大神は怒って、天石窟(天岩戸・あまのいわと:岩でできた洞窟)に入り磐戸(いわと)を閉じて籠ってしまった。国中が暗闇となり昼夜の区別もつかなかったとある。
困った八十萬神(やそよろづのかみ)たちは天安河の河原に集まり、祷(いの)るべき方法を相談したところ、
思兼神:深く思慮をめぐらし、常世之長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めて長く鳴かせた。
手力雄神:(思兼神の指示で)磐戸の側(そば)に立つ
天児屋命と太玉命:天香山(あめのかぐやま)の繁った榊を掘り起こし、上の枝には八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいほつみすまる)をかけ、中の枝には八咫鏡あるいは眞経津鏡(まふつのかがみ)をかけ、下の枝には青い布帛(ふはく)と白い布帛をかけ共に祈祷をした。
天鈿女命:手に蔓(つる)を巻きつけた矛を持ち、天石窟戸の前に立って巧に俳優(わざおさ)を作す(見事に舞い踊った)。また、天香山の榊を鬘(かづら)としてまとい蘿(ひかげ)を襷(たすき)にし、火を焚き桶を伏せて置いて、顕神明之憑談(かむがかり)をした。天照大神はこれを聞いて、「私はこの頃、石窟に籠っている。思うに、豊葦原中國は長い夜になっているはずだ。どうして天鈿女命はこのように笑い楽しんでいるのだろう」と思い、手で磐戸を少し開けて様子を窺った。すると手力雄神が天照大神の手を取って、引き出した。そこで天児屋命と太玉命が注連縄を張り渡し、「再び入ってはなりません」と申し上げた。
その後、神々は罪を素戔嗚尊に負わせ、贖罪の品々を科した。それ以外に髪を抜き手足の爪を剥いで償わせたとある。こうして素戔嗚尊は高天原から追放されたと伝わる日本神話
※天孫降臨(てんそんこうりん):天孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと:神話の神。 地神五代の3代目。 日向三代の初代)が、高皇産霊尊(たかみむすび/別天津神・造化三神のうちの1柱)の意向と天照大御神(あまてらすおおみかみ)の神勅(しんちょく)を受けて葦原の中津国(あしはらのなかつくに)を治めるために、高天原(たかまがはら)から筑紫の日向の襲の高千穂峰へあまくだったこと。 瓊瓊杵尊は天照大御神から授かった三種の神器(さんしゅのじんき)※をたずさえ、天児屋命(あまのこやねのみこと)などの神々を連れて、高天原から地上へと向かう。 途中、猿田毘古神(さるたひこのかみ:猿田彦の神)※が道案内をした。 記紀(古事記と日本書紀)にある日本神話
※三種の神器(さんしゅのじんき、みくさのたから、みくさのかむたから):三つの宝物。八咫鏡 (やたのかがみ) 天叢雲剣 (あまのむらくものつるぎ)または (草薙剣:くさなぎのつるぎ )八尺瓊勾玉 (やさかにのまがたま)のこと。特に剣と璽(じ:皇位の印章としての勾玉)を併せて剣璽(けんじ)と称する。三種の神器の別称
※猿田毘古神(さるたひこのかみ:猿田彦の神):瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた。道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原の中津国(あしはらのなかつくに)までを照らす神がいた。その神の鼻の長さは七咫(ななあた)背(そびら)の長さは七尺(ななさか)目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いているという姿であった。そこで天照大御神と高木神は天鈿女命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神(くにつかみ)の猿田毘古神で、瓊瓊杵尊らの先導をしようと迎えに来たと話した。瓊瓊杵尊らが無事に葦原の中津国に着くと、瓊瓊杵尊は天鈿女命にその名を明かにしたのだから、猿田毘古神を送り届けて仕えるようにと言った。そこで天鈿女命は「猿女君」と呼ばれるようになった伝わる。猿田毘古神は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰ったとある。
※比売神(ひめがみ):女性神(めがみ)のこと。ここでは天押雲根命の母親とされている。
※天押雲根命(あめのおしくもねのみこと):瓊々杵尊(ににぎのみこと)の御宇の神(天空が地上を覆うの意)であるとされる。天孫降臨のとき地上には未熟で荒い水(命をはぐくまない水のこと)しか存在せず、天押雲根命が高天原(たかはがはら)より天津水※(天忍石長井水:あめのおしはのながヰのみず)を持ち還り、この水を皇孫に奉ったとされる。伝承では天牟羅雲命の神名で登場している。別名を天押雲命、天村雲命(あめのむらくものみこと)天二上命(あめのふたかみのみこと)後小橋命(のちおばせのみこと)と伝わる。
※天忍石長井水(あめのおしはのながヰのみず):天津水(あまつすい)高天原の天照大御神が持っている水の種のこと
※長承年間(ちょうしょうねんかん/1132~1135):天承の後、保延の前までの期間。この時代の天皇は崇徳天皇。方丈記によると長承年間に飢饉があったことが養和の飢饉の項でふれられている。
※藤原忠通公(ふじわらのただみち 1097-1164):平安時代後期の公卿(くぎょう)。 永長2年(1097)閏(うるう)年生まれ。藤原忠実(ただざね)の長男。母は源師子。
◆公現祭
※シェークスピアの戯曲十二夜(じゅうにや):イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピア作の喜劇、副題は「御意のままに」を意味する。1601年から1602年頃に、クリスマスのシーズンの終わりを告げる十二夜で上演するために書かれたと考えられている。
※農耕神サートゥルヌス:古代ローマの農耕神。ギリシア神話のクロノスと同一視されている。ギリシアからイタリアを来住,農業や技芸を教えて古代イタリアの黄金時代築いたと伝わる。
※サートゥルナーリア祭:サートゥルヌス神を祝した古代ローマの祭。農神祭とも。ローマでも盛大に行われる祭の1つだった。特に馬鹿騒ぎと社会的役割の入れ替えを特徴とし、奴隷とその主人がこの期間だけ表面上役割を入れ替えて振舞ったとある。
◆高崎 だるま市
※達磨大師(だるまたいし):菩提達磨(ぼだいだるま)は、中国禅宗の開祖とさるインド人仏教僧。達磨、達磨祖師ともいう。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す。
※達磨の面壁九年(だるまのめんぺきくねん):達磨だるま大師が、中国の嵩山(すうざん)の少林寺で、壁に向かって九年間坐禅を組み「さとり」を開いたとされる。転じて達磨のように一つの目的に向かって粘り強く月日をかけて心を傾けることの例えとして使われる。
◆鹿児島、霧島神宮 お田植祭
※霧島六所権現信仰(きりしまろっかしょごんげん信仰):霧島山を囲むようにして、霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)と総称される神社がある。霧島六社権現は一社に祀る神が六座あるところから、霧島六所権現(きりしまろくしょごんげん)とも称される値域信仰のこと。
◆春日大社祭
※勅祭(ちょくさい):天皇の使者(勅使)が派遣されて祭事を執行される神社の祭祀のことです。特に勅使派遣が定例になっている神社を「勅祭社」と呼びます。
※日本三大勅祭(にほんさんだいちょくさい):春日祭(春日大社)、 葵祭(上・下賀茂神社)、 石清水祭(石清水八幡宮)